香川県木田郡は静御前のゆかりの地
香川県木田郡は郡にはなっていますが、中にある町村は三木町が一つだけです。1956年に木田郡の山南6町村が一つの町となり、現在に至っています。香川県には5つの郡があり、その中に9つの町がありますが、香川県木田郡の三木町が一番人口が多く、約2万7千人が住んでいます。ただ、面積は約75平方キロで、郡にある町の中では4番目になっています。ちなみに、香川県には5つの郡がありますが、その内3つの町を持つ郡が1つ、2つの町を持つ郡が2つ、1つの町だけの郡が2つになっています。
香川県木田郡は県の東部に位置していますが、瀬戸内海には面していません。郡の形が南北に長いのが特徴であり、西は高松市、北は牟礼町、東はさぬき市、南は塩江町と徳島県美馬市に接しています。
香川県木田郡は高松市のベッドタウンになっており、高松琴平電鉄長尾線が通っています。稲作や小麦栽培の他、イチゴの栽培が盛んで、いちごワインが特産品になっています。なお、地場産業として、手袋の縫製や、彫りぬき盆、竹細工が有名です。
香川県木田郡三木町出身の植物学者・三木茂が発見・命名したメタセコイアは三木町の記念樹になっており、太古の森公園に多く植樹されています。また、三木町には香川大学の農学部と医学部があります。
なお、源平合戦で有名な源義経が愛した静御前はこの三木町で亡くなったとされており、逸話が数多くあります。また、静薬師には静御前の墓と伝えられる五輪塔があります。
襖の歴史と種類そして張り替えの難易度に関して。
襖とは、日本古来より家屋の間仕切り板として使用されている建具である。
その歴史は古く、平安時代以前より存在していたとされている。
その頃は、中国伝来の障子も同じく間仕切り板の役割を持つ建具だった為、統一して障子と呼ばれていた。
平安時代末期頃に明かりを通すように木枠に薄い和紙を貼り付けた明かり障子が登場した事で、間仕切り板は襖、窓や扉の建具は障子と呼ばれるようになり、今に至っている。
その為、襖とは日本で生まれた言葉である。
襖には大きく2種類存在する。
一つは間仕切り板としての建具的価値を持つものと、和紙に描かれた絵によって、建具的価値よりも芸術的価値が高いものである。
建具的価値のものは、張り替え作業が非常に楽である。
構造は障子に似ている為、古い和紙を木枠から剥がし、糊を塗布し、新しい和紙に張り替えるだけで作業は完了する。
しかし、芸術的価値が高い襖は張り替え作業の難易度が非常に高くなる。
絵を傷付けず、襖としての景観を保つことが要求される為、素人には不可能である。
それなりの技術と経験が必要になる為、専門の張り替え職人でないと張り替え作業は出来ないのである。
この張り替え職人のお陰で、現存する芸術的価値の高い襖は価値を失わずに済んでいるのである。